とある講習会で登壇した講師のうちの二人は、偶然にもかつて外語大で視聴覚教育法を受講してくれた教え子。一人は純粋研究志向、今一人はどちらかと言えば現場志向という印象。
前者は今や売れっ子のCan-Do評価の伝道者。後者はリーディング研究の専門家。
私は根が天の邪鬼なので、世間が騒いでいることは敢えて近づかなかったりするので、これまであまりCan-Do評価については深く関わってこなかった。
天の邪鬼なだけでなく、そもそも英語教育についての問題意識が、何を教えるかの整理と定義づけではなく、むしろどう教えるかということの方に優先度があるからでもあった。
Can-Do評価をしないと、生徒は自己効力感を得られない?
Can-Do評価をしないと、教師は上手な見取りと内省に至らない?
Can-Do評価をしないと、教師の同僚性と自律性が育たない?
残念ながら今日の話を聞いても、Can-Do評価が英語教育を変革する原動力になるかもしれないという納得には至らなかった。
二人とも学生の頃からよく知っているのでコメントはむずかしいですね。もっとも、Can-Doに関しては、十数年位やってきたら、日本での流行の方が追いついた感はありますけれど。