本当に釈然としない判決。
予見可能だったかどうかなんて、天災なんだから、時期や規模など正確に予測可能なわけはない。
問題は、あらゆる可能性を想定して、できる限りに対策を講じてきたか、その責任を果たしたかどうかじゃないのか?
ーーーーー以下、記事引用
https://digital.asahi.com/articles/ASM9M56K2M9MUTIL04S.html?fbclid=IwAR3RejAerWj46moWihM5eTZGuld7NkCL4qacB1uUN2GZ3KUDj5y-UX9Lono
問うべきは原発事業の不可解な巨大さ 柳田邦男さん寄稿
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2019年9月20日04時50分
東京電力福島第一原発事故をめぐり、旧経営陣の刑事責任を問えないと判断した19日の東京地裁判決。ノンフィクション作家で、政府の福島原発事故調査・検証委員会で委員長代理を務めた柳田邦男さん(83)が判決を法廷で傍聴し、裁判の意味するものについて寄稿した。
東電会長ら旧経営陣3人に無罪判決 原発事故で強制起訴
【要旨まとめ】東電旧経営陣3人無罪、強制起訴地裁判決
安全論の逆説的格言に、「法規の枠組みだけで仕事をしていると事故が起こる」というのがある。東京電力福島第一原発事故を巡る経営首脳の刑事責任を問う裁判の判決を傍聴していて、この格言はやはり正しいと思った。
東電が福島原発事故を防ぎ得たか、経営判断の一つの分かれ目になったのは、事故発生3年前の2008年6月、安全担当部門から、経営陣の中で安全対策の責任を担っていた当時原子力・立地本部副本部長の武藤栄被告に「最大津波15・7メートル」という予測値が提示された時だ。武藤被告はこの予測値には信頼性がないと判断し、継続研究を命じた。
その後、東日本大震災発生まで関係部門が信頼に足る津波予測値を求める研究を続けた。経営陣に万一原発が津波に襲われたら深刻な事態になるという原発事業者に欠かせない鋭いリスク感覚があれば、完全な対策は緊急には無理にしても、せめて減災のために、全電源喪失を防ぐ策としての予備電源設備の高台への移設、配電センターや重要建屋の水密化など、元々あるべきだった安全対策の工事を命じることはできたはずだ。
だが、判決は研究の努力を延々と紹介する一方で、経営陣の対処の是非については「責任を負う立場にあったからといって、発生した事故について、当然に刑事責任を負うことにはならない」と断じて結んでいる。
法律論からはかかる判断を仮に是としても、深刻な被害の実態の視点から考察するなら、たとえ刑事裁判であっても、刑事罰の対象にならないと結論を出すだけでよいのかと思う。
事故後間もなく、崩壊した巨大な原子力建屋のすぐそばに立ち見上げた時、全身が震えた恐怖感。高濃度汚染地帯の「死の町」の情景。長期避難を強いられた被害者たちの苦難。避難のストレスによる災害関連死の数々。8年余りにわたり見つめてきた原発事故の凄絶(せいぜつ)さは、ただ事(ごと)ではない。
問われるべきは、これだけの深刻な被害を生じさせながら、責任の所在があいまいにされてしまう原発事業の不可解な巨大さではないか。これが一般的な凶悪事件であるなら、被害者の心情に寄り添った論述が縷々(るる)記されるのが通例だ。裁判官は歴史的な巨大な複合災害である事故現場や「死の町」や避難者たちの生活の現場に立ち、そこで考えようとしなかったのか。
安全に関する思想は、今世紀に入って大きく変わりつつある。
前記の「最大津波15・7メートル」という予測値が東電経営陣に提示された1年前の07年6月、政府の航空・鉄道事故調査委員会(現・運輸安全委員会)がJR宝塚線(福知山線)脱線事故=05年4月発生、死者107人=の調査報告書を発表していた。その中で、リスク評価と安全の取り組みについて、従来の確率論や法規の枠組みにとらわれない画期的な思想が提起されているのだ。高速の鉄道においては、たとえ発生頻度(発生確率)が小さくても、万が一事故が起きて重大な人的被害が生じるおそれがある場合には、未然に事故を防ぐ対策を推進すべきであるというのだ。この思想は、鉄道・航空界では一般化しつつある。
鉄道事故とは桁違いに規模の絶大な被害をもたらし、国家的危機に発展しかねない原発の安全対策にこそ、この思想の導入は緊急に必要だと言えよう。
もう一つ重要な新たな安全思想は「組織事故」という事故と安全のとらえ方だ。重大事故は現場の作業員のミスだけで起こるのはまれで、組織の経営、設計・製造、マニュアル作成、管理、現場作業など様々なレベルに潜む欠陥や失敗などが連鎖的につながって起こるのだ。特に重要なのは、経営レベルにおける意思決定や躊躇(ちゅうちょ)だ。この思想は世界の公共交通機関において共有されるようになっている。
刑事責任追及の裁判と安全確立のための事故調査とでは、追及の枠組みと結論の絞り方が、本来異質だ。だが、今回の裁判の対象は巨大な被害を生じさせた原発事故であり、被告席に立たされたのは経営陣であったのだから、判決文では、有罪・無罪に関わらず、この国の未来の安全と国民の納得・安心につながる格調の高い論述を展開してほしかった。
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やなぎだ・くにお 1936年生まれ、ノンフィクション作家。政府の福島原発事故調査・検証委員会では委員長代理を務めた。著書に航空機事故を取材した「マッハの恐怖」(71年)など。
https://digital.asahi.com/articles/ASM9M56K2M9MUTIL04S.html?fbclid=IwAR3RejAerWj46moWihM5eTZGuld7NkCL4qacB1uUN2GZ3KUDj5y-UX9Lono