指導をためらわせるもの

グイグイ指導することに関して、静さんがご自身のブログで私とのやり取りを受けて一首詠んでおられます。

平安時代なら、ちゃんと詠んで返すべきところ、無粋な返答ご容赦(あ、貴族じゃなくて、発音サムライだから返歌じゃなくてもイイですよね)。

自信のなさには、英語力だけではなく、口に苦い可能性もあることについてキチンと指導すると、生徒との関係が維持できなくなるんじゃないかという不安も含まれるのかなぁ。

でも生徒のほとんどはできるようになりたい、うまくカッコ良く言えるようになりたいって思っているわけで、それに対して責任持った指導をしないっていうのは、痛がる患者が可哀想だと、キチンと虫歯を除去せず蓋しちゃう歯医者みたいなもんですね。

でも実はもっと深い問題もあって、関係を維持できないどころか、関係を作れない教師も増えつつあるってこと。もしかすると、指導できず手をこまねいてしまう自信のなさは、こういう基本的なコミュニケーション能力や対人スキルについての不安なんじゃないかな。

近頃、教員養成大学ですら、特別なサポートなしでは実習に臨めない、乗り切れない学生がいるらしいですし。

教員養成も何とかしないとねぇ。国を支える人材育成を支える教師をもっと大事にしなきゃ、未来はないよ。

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