デジタル教科書に思わぬ足かせ:教科書検定制度

政府や業界は随分以前からデジタル教科書の普及に力を入れている。つい最近も、元首相の前衛隊長みたいな大臣や、ヘンなマスクをした大臣、ワニ動画好きの大臣らによるデジタル教科書について前のめりな発言が続いている(NHKデジタル「『教科書は原則、デジタル教科書にすべきと提案』平井デジタル相」2020年10月6日)。それぞれの大臣の発言には突っ込みたいところも多々あるが、ここでは割愛。

二年ほど前から、デジタル教科書の推進に向けて調査研究を行う私的な委員会に私も関わっている(もちろん、推進派というより、どちらかというと慎重派という立場)。先日その委員会で、学習者用デジタル教科書について発行元の関係者から直接話を伺う機会に恵まれた。そこで衝撃的な事実を知ったので紹介したい。

それは、機器やソフト面は先行している一方で、教科書検定制度がデジタル化に追いついていないために生じる歪みとも言えることで、従来の検定制度化での制約が、本来デジタル教科書が持つ特性を発揮しにくくしているという事例である。

前置きとして、紙の教科書検定において、音声データなどへのリンクを埋め込むことが最近認められたということがある(朝日新聞デジタル「学校教科書、QRコード解禁 コンパスの使い方を動画で」2019年3月26日)。要するに教科書にURLやQRコードを記して、外部(といっても原則は出版社のサイト)サーバにあるデータにリンクすることを認めるというもの。副教材や指導書などではこれまでも存在していた機能だが、それを検定の範囲内で後追いして認めた形。記事ではリンク先のデータの更新や管理をどうするのかまでは触れられていないが、少なくとも検定時にはその時点のデータ内容は検定対象としてチェックしているはずである。

もう一つの前置きとして、デジタル教科書には、教師が授業などの指導用に使用することを前提として作ってある指導者用デジタル教科書と、児童・生徒が持つことを前提としている学習者用デジタル教科書という区分がある。そして、学習者用デジタル教科書には、検定教科書の範疇を超えない内容で構成された「教科書部分」と、それ以外の「教材部分」で構成される。

「教科書部分」と「教材部分」の区分にこだわる背景は、あくまで推測だが、将来的にデジタル教科書も検定教科書という位置づけになった暁に、「教科書部分」で構成されたものだけが検定済みと見なされる、ということを先取りしているのかもしれない。

さて、デジタル教科書の良さが発揮できなくなっている背景には、この「教科書部分」と「教材部分」の区別がある。これは一般人にとってはわかりにくい区別だろう。

もともと検定済印刷教科書のQRコードでリンクされている音声のままならば「教科書部分」という扱いだが、例えばそれに効果音などを入れて臨場感を出したダイアログ音声にした場合、それは「教材部分」と見なされるというのだ。

BGMの加工だけではない。例えば、教科書のQRコードが呼び出しているダイヤログ音声を、ポーズを挿入して再生したり、字幕付きで再生されるように加工した場合も、「教材部分」と見なされる。

また、印刷教科書ではQRコードから新出語句一覧の音声へリンクがあったとすると、それをバラバラにして、デジタル教科書の挿絵に組み込み、該当するものをクリックしたときにその音声だけが出るように加工すると、それはもう「教科書部分」ではなく、「教材部分」という扱いになるという。

杓子定規と言えばそれまでだが、恐らく、検定済みの内容とそうでないものを可能な限り厳格に分けようという努力かもしれない。また、検定済みとしてお墨付きを与えた部分と、あとからデジタル化したときに加工したデータを区別したいという趣旨かもしれない。

出版社が教科書部分という範囲の中で教科書をデジタル化しようとする場合、せっかく上のようにインタラクティブにできる媒体でありながら、検定教科書という制度にまつわるしがらみからそれを諦め、敢えて不便な方法で情報を提示しなければならなくなる。

出版社によっては、指導用のデジタル教科書は出していないケースや、学習者用のデジタル教科書・教材については区別を設けていない会社もある。会社によっては、「学習者用デジタル教科書」と「学習者用デジタル教材+教材」を独立させて提供している場合もある。

ウェブで検索すれば各出版社からサンプルが公開されているので、「教科書部分」と「教材部分」という妙な区別を念頭に置いて比べてみてほしい(記事末尾に、現時点で各社から公開されている情報へのリンクあり)。「せっかくデジタルなのだからこうしたらいいのに」と思われる工夫はほとんどすべて「教材」の方では実現されているが、同じ出版社から出ている教材でも「デジタル教科書」の方では提供されていない。

検定に携わっている知り合いからは、単純なミスや語法としての問題点の指摘なども意外と多いと聞いたことがある。外国語の場合には、社会科などに比べると政治的な思惑による介入は少なく、検定の存在も悪いことばかりではないと言えなくもない。

しかし、事は単純に検定の是非に留まらず、無償配布や広域採択と組み合わせた、教科書にまつわる法制全体が及ぼす悪影響を考慮すると、やはりなくした方がいいと思う。

各社のデジタル教科書サンプルページへのリンク

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