ここ記事では、もともと「外国語」教育として導入されたものが、どういう経緯で「英語」に限定されてしまったのかを記しておこうと思います。
小学校での英語については、一般には「今じゃ、英語は小学校からやっている」という程度の認識しかない人も多いかもしれません。細かく言うと、2011年度(実際はそれ以前から移行措置として実施)から2019年度までは5,6年生を対象に「外国語活動」として行ってきたものを、2020年度からは正式な教科として(教科書を定め、成績もつける)5,6年で実施することにし、「外国語活動」は3,4年に下ろすということになった、というのがここ十数年の経緯です。英語を「教科」として格上げするプロセスがいかに拙速だったかは寺沢さんの記事に詳しく書かれています。
上の説明では、一般的な呼び方の「英語活動」ではなく、敢えて「外国語活動」と書きました。実際、法的な拘束力を持つ学習指導要領でも、「英語活動」という表現はなく、「外国語活動」として明記されています。
小学校に英語がかなり強引に導入された頃の議論では、国際理解や異文化コミュニケーションなどを統合したものとして新たに位置づけられた活動として導入されました。だから「英語」だけじゃなく「外国語」活動になったわけです。
外国語活動というものが学習指導要領に位置づけられる前でも、英語に限らず、隣国の言葉やその他いろいろな地域や国の言葉について、広い見地で情報や体験を用意して行われていた実践はたくさんありました。
「外国語活動」が始めて位置づけられた2008年版の学習指導要領では、外国語活動の目標は次のように定めていました:
「外国語を通じて,言語や文化について体験的に理解を深め,積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成を図り,外国語の音声や基本的な表現に慣れ親しませながら,コミュニケーション能力の素地を養う。」
ところが、学習指導要領に位置づけられたとき、同時に次のような文言が「指導計画の作成と内容の取扱い」の中にひっそりと付け加えられました:
「外国語活動においては,英語を取り扱うことを原則とすること。」
この原則に忠実に従うとすれば、上で触れたような取り組みや、以前私のブログでも紹介したタンペレ市のKikatusのような取り組みは許されないことになります。
ちなみに、小学校で英語が教科化されることになった2017年版学習指導要領では、外国語活動の目標がダラダラと長くなり、2008年版では存在していない「各言語の目標及び内容等」という節が加わり、英語についてのみ事細かに注文がつけられていますが、それ以外の外国語についてはまったく言及がなく、かなり不自然さを感じる構成になっています。そして、あのだまし討ちのひと言は「指導計画の作成と内容の取扱い」の中に残されています。
さらに2017年版の指導要領では「外国語」が新たに教科となったため、「外国語活動」とは別に教科として章が設けられています。上で指摘したように、「外国語活動」では英語以外の外国語の扱いはまったく触れられていないのに対し、「外国語科」では「その他の外国語については,英語(中略)に準じて指導を行うものとする」と、多言語の希望を持たせる文言があります。しかし、そのすぐあとに、「外国語科においては,英語を履修させることを原則とすること」という制約が明記されています。なぜこのような異なる扱いになっているのかは不明です。
なぜこんな細かい名称のことにしつこくこだわっているのかというと、「外国語=英語」、「英語は世界の共通語」という一見もっともらしく聞こえる考え方の中には、単に実用的な目的だけでなく、外国語教育が本来担うべき、異文化理解や他者理解というより大きく大切な目標の達成を阻害してしまう危険をはらんでいるからです。
また、地域によっては英語以外の外国語が多く使われている地域もあり、そういう地域では原則英語に限定せず、より柔軟な扱いができるようにしておくべきだとも思うからです。
そもそも、みんな揃って同じ外国語を学習するから入試の道具にされてしまうという面もあります。興味関心や地域性に応じて、例えば韓国語から学習をスタートして、それから英語をやるというような外国語学習も許されるべきだと思います。フィンランドの小中学校では第二外国語の履修も定められていて、英語より先にドイツ語を学習するような履修もできるようになっています。もちろん、すべて専科教科としての訓練を受け資格を持つ教員が担当します。
そして、ここからはエビデンスはないので、私の推測です。
なぜわざわざ「英語」に限定したか。一つには、英語は世界語だからとか、事実上の共通語でしょ、という素朴な思い込みがあったかもしれません。
それよりもっと実利的な理由としては、そもそも産業策としてねじ込んだ小学校英語なのに、肝心の外国語活動で英語以外のあれこれを扱われてしまうと、商売しにくくなってしまうからではないかと疑っています。
そういう意地悪な勘ぐりはしたくはありませんが、これまでで明らかになっている政権や産業界のダークな動きを踏まえると、一応は疑いを持って警戒しておく方が賢明だと思います。