抱える障害と、どう折り合いをつけて行くか、それを周囲にどう理解してもらうかについて、最近経験した対照的な二つのこと。
ある日、グリーン車の二人がけ窓側席に座っていたら、私よりちょっとだけ年上と思しき、杖をついた男性があとから隣に座った。左側に麻痺があるようで、左手は効かない。まっすぐ座りにくいらしく、真ん中の肘掛に体を預けるように座るので、こちらは窮屈。でも状況を察して我慢。
それから、いろいろなものが入って重そうなカバンから本とマーカーを出し、可倒テーブル上で読書を始めた。左手が使えないので、身体を斜めにして、腕で本を抑えつつ、あちこち精力的にマークしている(蛇足だけど、見開きの半分近くが黄色くなってるのは、マーカーの役目を果たしているのかな?)。このときの身体の捻り方で、頻繁に肘がこちらの身体を突く。痛くはないが、こちらも仕事に集中できない。おまけに、身体を捻るのに邪魔になる足元のカバンは、私の足元に突き出ている。
せめて、会釈とか、断りのひと言があればこちらの気も治るが、彼からは、何のモーションもない。その余裕すらないのかもしれないが。
そんなことを考えていた日から数日後、地下鉄を降りて混み合うホームを改札に向けて歩いていたら、ちょっと前をゆっくり歩いている人の背中に変なものがついているのが目に入った。何だろうと近づいてみると、黄色い紙に赤いマジックで、「障害があります。お先にどうぞ」と、苦労して書いたと思われるような字で書いてあり、それが襟に洗濯バサミで止められていた。
流石に写真を撮ることは気が咎めた。その苦労した意思表示に心打たれ、事情を話してお願いすれば取らせてくれたかもしれないが、言葉で描写してわからないような状況ではないし、やめた。
その人は、自分が流れに乗って歩けないことを気にして、後ろの人がイライラしないように知らせる紙を背負うことにしたのだろう。決して見栄えもカッコウも良くないが、自分が格好つけるより、人様にお知らせする方を優先したのだろうなと、いたく心にしみた。もしかすると、過去には理解ない人からどやされて、嫌な思いをした経験があるのかもしれない。
いろいろなレベルの障害があって、一概にどうするべきとは言えないけど、ちょっとした説明と意思表示をすることで、周囲の対応や気持ちもガラリと変わるんだということを、おじさんの黄色い紙に教えられた。