禁煙

タバコを吸い続ける前に、まずこれを読んで考えもらいたいと思い、2001年1月に書いたブログ記事(当時はまだ「ブログ」なんて言葉はまだ確立していなかった)を再掲します。

私は実は年季の入ったヘビースモーカーだった。最初にたばこをいたずらし始めたのは小学校5年生のときだった。当時母親が吸っていたハイライトの吸い殻をくすねて風呂場で隠れて吸っていた。今思えば、風呂場で吸ってにおいが残らないわけはない。親はきっと気づいていたんだろう。中学生で立派な不良になった頃は一人前のスモーカーだった。当時は今のような軽いたばこは少数派で、セブンスターやショートホープを吸っていた。たまり場だった悪友の工場の職人にロングピースを一本もらって吸ったときにはさすがに目の前がぐるぐる回った。不良生活から更正を遂げた中学3年からアメリカ留学から帰国するまでは禁煙していた。帰国後つきあい始めた友人の影響でまた吸い始め、それは大学3年まで続いた。それから大学院を出る1991年までの5年くらいの間、また禁煙した。その後は1999年までの8年間、喫煙者に戻った。大学生以降はすっかりピースの香りに魅せられて、大学院生の極貧時代を除いてはずっとピースを吸っていた。

結婚した相手はたばこは嫌いだが、幸い寛大なため、蛍族にもならず、強制的に禁煙を迫られることもなかった。しかし禁煙しようかと思わされる場面はたびたびあった。特に、ほぼ毎年学会参加のために出かける北米までの飛行機での旅は辛かった。米国までのほとんどの飛行機は禁煙で、少なくとも十数時間は我慢せねばならない。そのために、知り合いの医者からこっそりとニコチンガムを処方してもらって、それを噛みつつしのいでいた。そんな苦行の締めくくりは到着した先の空港での喫煙場所探しだ。あれだけ世界中にたばこを売りつけて儲けている会社がいくつも存在する国のくせに、空港に限らず建物のほとんどは禁煙になっている。そのため、屋外に出るまでは吸うことが許されない。空港によっては、シャトルバスやモノレールに乗らねば屋外に出られない空港もあるから大変だ。おかげで、主だった空港の地理に明るくなった。やっとたどり着いた屋外の喫煙場所には世界各国からの同志が煙をくゆらせていて、決まって米国の嫌煙ムードへの悪口に花が咲く。

いつだったか、わずかな乗り換え時間しかない空港で、日本人だと思って安心して私の後をついてきた女の子がいた。私もおやと思いつつ、もしかしたら乗り換えではないか、私とは違う便に乗り換えるのかと思って、声はかけずにおいた。一服終えて急いで機に戻ると、まだ乗り換え予定の客で搭乗していない客がいるため出発できない旨のアナウンスがあった。30くらいしてから申し訳なさそうに乗ってきたのが例の女の子であった。今にして思えば、そのとき親切に「私はたばこ吸いに行くんですよ、乗り換えだったらあっちですよ」と教えてあげれば、彼女が迷子になってフライトが30分近く遅れることはなかったはずだ。彼女にも、同乗のお客にも悪いことをしてしまった。

さて、私が再び禁煙を考え始めたのは、長時間のフライトや米国の空港での苦い経験のせいだけでなく、翌年の2000年4月から往復ほぼ6時間の長距離通勤せねばならない職場への転勤が決まっていたからでもあった。どうせ日常的に6時間も我慢せねばならないなら、いっそのこと止めてしまおうかと考えるのは当然だろう。さらに、禁煙に向けての漠然とした思いは、岩波新書の『現代たばこ戦争』を読んだことによって具体性を帯び始めた。単に健康がどうのという観点だけから説得されるとよけいに意固地になってしまうが、自分がいかにたばこ会社や税金目当ての政府によって弄ばれているかを実証的に示されると、操られていた自分への腹立ちと操った奴らへの怒りとが相まって、禁煙に向けて強力に動機付けを与えられた。禁煙するかどうかは別として、『現代たばこ戦争』はお薦めの一冊だ。狡猾な戦略を持つたばこ会社とそれを後押しする政府によっていかに国民がたばこ漬けにされているか、米国たばこ会社が自国では禁煙ムードに組みする姿勢を見せながら、アジアで卑劣とも言える手段を使ってたばこを売り込んでいる様子や、いかにその影響が出ているかが詳しく報告されている。私が特に興味を引かれたのは、米国たばこ資本の侵略に対するタイ政府の毅然とした態度だ。

「アメリカ合衆国政府は、自国民を守るためにはタバコ産業の新たな策略や野放図な広告を規制している。にもかかわらず、タイ政府が同じようにして自国民を守ろうとしているのに、われわれの権利を認めようとしないのは恥知らずだ。それは倫理も道徳も拒否する二枚舌だ」(p.20)ティム・ヒューワット著『現代の死の商人』p.150

アメリカでは1971年以降、テレビでのタバコのコマーシャルは法的に禁じられている。

「WHOの最近(1990年)の推計によると、世界中で薪として伐採される樹木のうち、信じられますか、重量にして実に八割もが、タバコ葉乾燥用の燃料として商業的に用いられている。これは、地球上の森林伐採総面積の十二%に相当し、毎年毎年、長野県ふたつ分もの森が、タバコの葉っぱを乾かすだけのために消えていることになる」(p.28)細川弘明(佐賀大学農学部)『かわずのエコロジー』三省堂ブックレット1993年より

タバコのマナー広告、芸能人を起用したテレビ広告、実は喫煙を煽っている。スポンサーに大蔵省。

日本たばこ、アメリカの医療費求償訴訟の巨額和解に参加、毎年2〜3億円を支払う。(pp.155-156)

たばこ会社の綿密な研究に基づいた販売戦略。RJレイノルズ、若年層の喫煙者化、イメージ戦略と低ニコチンの入門者向けのたばこ開発を→キャメル(p.161)

どこかのふぬけ政府とは訳が違う。同書には書かれていないが、実際に教えている学生たちの吸っているたばこを観察してみると、国産よりも外国たばこが多いことに気づく。彼らは味ではなくファッションとしてたばこを手にし、体をこわさない程度に軽く調合されているたばこを吸い続けさせられる、しかも海の向こうの嫌煙大国の会社によってである。恐ろしい話である。

米国たばこ資本による喫煙のファッション化キャンペーンが浸透して以来、若者の喫煙マナーが急激に低下したように思う。場所をわきまえずところ構わず吸う。混雑した雑踏で吸う。屋外でも灰皿があろうがあるまいが構わず吸い、なければ吸い殻は地べたに捨てる。いずれも、喫煙が単あるファッション、格好付けに成り下がってしまった結果ではないか。若者の多くは「洋もく」(ほとんど死語か)を吸う格好良さを信じ込まされ、自分がたばこ会社にうまく操作されていることには心が及ばない。

私が禁煙を決心した決定的な理由は、息子とのある日の会話だった。コンサートへ出かける車の中で、私がたばこを止めてほしいかどうかを佳太に尋ねてみたら、予期せぬ答えが返ってきた。「よっちゃん(夫婦間での呼び名がこうなので彼も私をこう呼ぶ)がサングラスをしてたばこ吸っているところはかっこいいから止めなくていい」というのだ。自分が知らぬ間にたばこは格好のいいものというメッセージを息子に伝えてしまったという事実を突きつけられて、大きな罪悪感を感じ、それだけで禁煙を決心した。「そうかぁ、かっこいいかぁ。でも、たばこ吸っていると早く死んじゃうかもしれないよ」というと彼はびっくりして、「えっ!?じゃ、止めてよ」と前言を翻していたのがせめてもの救いだった。

禁煙に失敗する人は多いが、私の場合の禁煙のこつは、自分を裏切らないことが半分、自分の大切な存在を裏切らないことが半分である。私がたばこを吸う姿を佳太に見せることによって妙な刷込をしてしまったという罪悪感と、自分が他者の都合のいいように扱われていたことへの怒りとで禁煙のための条件は出そろった。佳太とのこの会話の直後、私は禁煙を宣言し、実行した。

無論、最初の数週間は地獄の苦しみである。朝起きて数本立て続けに吸うのが習わしであったが、禁煙して以来、血中のニコチン濃度が高まらないためか、目が覚めきらない。ぼうっとした気分であった。かつては飛行機内での非常用に使っていたニコチンガムのお世話になった。このガムは本来、こういう禁煙時のニコチン欠乏のショックを和らげるためのものである。授業をしている間はいらいらすることはなかったが、やはりぼうっとしているため、集中力が高まらず、当時教えていた学生諸君には申し訳ないことをしてしまった。夜は夜で、決まってたばこに火をつけてしまう夢を見て目が覚める。気を紛らわすため、時間を見つけてはがむしゃらに泳いだ。

禁煙し始めて気づいたのが、メディアを通じて喫煙に関するメッセージがいかに多く発信されているかである。テレビをつければドラマの登場人物が紫煙をくゆらせてなにやらきざなせりふを吐いている。しかもたいていはうまそうに吸っている。雑誌をめくると壮快な気分をイメージしたようなたばこの広告があふれている。たばこを吸うとそういう世界にワープできるかのような錯覚すら感じてしまう。これでは若者たちがうまく乗せられるのも無理はない。米国たばこ資本の広告戦略恐るべしである。

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