語研大会の指導助言者としての仕事はなんとか乗り切り、4フロアにまたがる協議会会場の写真撮影もきっちり終え、最後のプログラムはすっきりした心持ちで拝聴。
英語教育界の女流ご意見番二人による、「ブレない英語教育! 単純で大切なことを見失わないために」と題する対談。「ブレない!」ってキャッチが、なんだか自民党のTPPポスターみたいだなと思ったのは私だけ?
多岐にわたるトピックについて、お二人が放談するのをいろいろなことを考えながら聞いていた。いろいろな話題が矢継ぎ早に取り上げられて、ちょっと目が回った感じもしたけど、まあ、反芻しながら咀嚼するしかないか。
ただ、対談中、ちょっと引っかかりを感じたことがあった。
登壇者のひとりが、小学校英語教育の教科科プロセスに関連して、文科省の施策を弁護するかのように教職免許法の改正ポイントについて解説し、小学校では1教科に当てられる教科に関する単位は3単位、英語という教科を入れるに当たって、それほど多くの単位を増やせるわけじゃないし、他の教科だってたかだか3単位でこれまでやってきたんだし、とにかく始めてみないことには…という趣旨の発言をしていたときのこと(希望的には、問題提起として話題を投げかけたと思いたい)。
引っかかったのは、その説明の中で、「国益」という言葉が繰り返し使われていたこと。小学校に英語を導入するのは「国益にかなうこと」だとか、「やらないことは国益に反する」ような使われ方をしていたと思う。いずれにしても、その人の口から、そのうような「国家的な」言葉が繰り返されるというのは意外だった。
小学校に英語を導入するのは、「国益」のためのなのか?仮に英語教科化が「国益」に適っているとして、例えばそれを担当する教員の生活や労働環境、家庭にしわ寄せがいく可能性などのデメリットがあっても、「国益」に貢献するという一点ですべてが不問になっていいのだろうか?百歩譲って、確かに国益に適うかどうかも重要な視点ではあろうが、我々英語教育の専門家としては、「国益」だけで判断していいのだろうか?
なんとなく釈然としない気分で語研大会の締めくくりの対談を聞いた。