今年度教育実習から戻った学生が、指導教諭からこんな問いかけをされたという。
(本題と画像は無関係です)
学生を実習に送り出すとき、いろいろな指導教諭がいることや、すべて自分のやり方で張り切って臨むより、指導教諭の普段の授業の流れにうまく乗ることも必要だという話をする。
私の教科教育法の授業では、実習を乗り切るためではなく、自分が英語教師になってからの指針となることを授けるように授業をしている。しかし、そこで習ったことを片っ端から試そうとしても難しいことも伝えている。だからこの学生は、せめて音読や発音の指導には力を入れて実習に臨んでいた。
幸い、指導教諭からは、音読や発音指導はいらない、などと頭ごなしに押さえつけられることはなかったらしい。過去の例では、「音読させると生徒が疲れちゃうから、やらなくていい」などという酷い指導を受けた学生もいた。
しかし、多くの授業をこなし、最後の最後の振り返りで上記の問いかけをされたという。まあ、思う通りにやらせてくれたのは配慮だろうが、散々やった後でそんな疑問をぶつけられたら、学生だってたまらない。
その教師によると、発音指導もいいが、生徒を大学に受からせなければならない、そのためには、発音などより、文法事項や文章の説明をする方が得点力につながる、ということらしい。
果たしてそうか?
うちの学科には発音指導で高名な靜先生もいるし、私と二人で教員養成を担当する中で、学生の発音もしっかり鍛え直す(というか、高校まででほとんど指導されてないのが実情)。
学生たちを指導していると、その多くは入学前までは音声的なスキルについてネグレクト状態だったために、他のスキルも伸び悩んでいたように思う。
きちんとした音声を伴って語を学ばないので、つづりも覚えにくい、テキトーな音声で覚えているから、フツーの音声を聞いても覚えた語と結びつかない、言うまでもなく自信を持って発音できない、しゃべってみても通じない。こういう症状のまま放っておく方が、むしろ得点力が大きく削がれるんじゃないか?
そもそも大学受験のために英語を教えていると決めつけているところも気に入らないが、百歩譲って生徒の需要はそうだとしても、別に音声スキルの指導を端折らなくなって、生徒に英語力を付けることはできるし、それができれば得点力だってついてくる。
だいたい音声指導をやらない典型的な言い訳が「受験」ってのは、昔から変わってない。