元首相が、カルト教団がらみの問題行動ゆえに恨みを買い、凶弾に倒れたことに関連して、政治家やマスコミからやたらと「民主主義に対する挑戦」「民主主義を守る」というような発言が目立つ。
このことについては、朝日新聞にも既に論稿が出ているが(「元首相銃撃は「民主主義への挑戦」か 宇野重規さんが考える「敗北」」)、それでも、どうしても違和感を拭いきれない。
確かに人の命を奪う行為は許されるものではない。しかし、容疑者は単純な私怨で行為に及んだもので、民主主義に対する攻撃を意図したものではない。
むしろ、銃弾こそ放ってはいないが、安倍政権自体が関わってきた数えきれないほどの嘘、隠蔽、改ざん、捏造と疑われる所業の方が、民主主義に対する脅威であり、その根幹を腐らせてしまったのではないか?
その一つの典型例とも言えるのが、「お答えは差し控える」という対応。
言葉こそお上品に聞こえるが、平たく言えば、「言いたくない、言えない、言うのは都合悪い、だから説明責任はねぐってでも黙っている、その何が悪い?」ということだ。
この発言が特に目立ったのは、安倍政権ですっとぼけ番頭を務め切った菅(すが)元首相だろう(詳しくは、文春オンラインに記事がある:プチ鹿島「『お答えは差し控える』のは『国民を冒涜する』ことではないのか? 10年前と今年の菅首相の言葉を読む 野党時代の菅氏のブログに見る“ホラー”」)。
国の番頭さんが頻用しているなら、というわけじゃなかろうが、それ以後、やたらとこの「武器」を濫用する例が目につく。政治家役人ばかりじゃなく、問題を起こして取材を受けている民間企業の責任者や芸能人までやたらと使いまくっている。
これこそ、互いに議論や理解を尽くして結論を出す、という民主主義の根幹を台無しにしてしまった好例ではないか?
そんな人物を、国葬で見送るなど、断じて許せない。それこそ差し控えていろ!