「指導案の書き方」

実習の報告に来た学生のひとりから、実習先の学校で、大学で指導案の書き方を教わっていないのか?指導案の書き方くらい、大学で指導してほしい、みたいなことを言われたと聞いた。

うちの学科から実習に行った学生について、そのような不満を抱いた場合には、それは学生の不勉強のせいではなく、私の判断によるものだから、私に向けて苦言を呈していただきたい。

私は指導案の書き方など、時間的にごく限られた教職課程の授業の中で、実習に学生を送り出す前にやらねばならないことの中で、かなりプライオリティが低いことだと思っている。せいぜい、いくつかのサンプルを示し、それを真似て書け、くらいで十分だと思っている。

指導案の書き方の流儀など、いくつもあるものだし、どれが正しい・優れているとも言えない。

そもそも、時間と労力をかけて完璧な指導案を作ったとしても、その通り指導できる保証はないし、おそらくそんなことに時間をかけているとすれば、実際の指導は惨憺たる有様の可能性は高い。実際、これまでも研究授業などで、指導手順の前の「能書き」部分はやたら詳細で高尚なのに、実際の指導手順は荒っぽく、授業自体もいただけない例をいくつも経験している。

授業をどのように構成し、それぞれの手順では、何のために何をするのか、時間配分や教師・生徒の発話のバランスなどをしっかり突き詰めていけば、自ずとしっかりとした指導手順は出来上がってくるものだ。そして実際に授業を想定して練習してみれば、ワーク思想もない部分が見えてくるし、そのための工夫も必要になる。実際の実習では、そういうプロセスこそを是非ともご指導いただきたい。

私の教科教育法の授業では、そのための最低限の土台を固めてから学生を実習に送り出しているつもりである。

と、書き終わって振り返ると、まったく同じような会話を恩師の若林先生と生前したことを思い出した。

カテゴリー: 学校, 英語教育 パーマリンク

コメントを残す