「無料」病

何でも「無料」で手に入る風潮って、本当にいいのだろうか。と、考えさせられる話を聞いた。

ある自治体で、無料で親子向け講座を実施したところ、大変好評だった。とりわけ、リトミックがとても人気だったそうで、ならばそれを独立させ、より充実した講座として、教材費程度の参加費をもらって実施しようと言うことになった。

しかし蓋を開けてみたところ、参加者は非常に少なく拍子抜け。どういうことかいろいろ聞いてみると、結局「タダかどうか」というところが大きく影響したらしい。

受講生が喜ぶ内容の講座を、より充実させて提供しようという主催者側の意図は、たかだか数百円の参加費に阻まれ、「タダではない」「有料」「お得でない」という短絡的な思考連鎖で台無しにされてしまったわけだ。

参加者たちも、タダかどうかよりも、もっと内容に焦点を当て、それが自分にとって有意義かどうか、参加費に見合うかどうかという判断をしていれば、せっかくの学びの好機を逃さずに済んだはず。

現在、ネットなどでは様々なサービスが「無料」で提供されている(本当はタダではないのだが)。いつのまにかそれに飼いならされ、タダでなければ受け入れられないという感覚が染みついてしまっているのではないか。

昔から、「タダほど高いものはない」と言う格言がある。その言葉通り、表向きは「無料」に見えても、実は様々な個人情報や広告対象となることと引き替えに代償は支払わされている。サービスを提供する側はタダじゃ済まさない、得るものは得ている。

今回のエピソードでは、影響はそれにとどまらない。そういう「無料」を尊ぶメンタリティが染みついてしまったことにより、消費者あるいは受益者として賢い選択がしにくくなってしまったという影響が出ている。それこそ、「高い」代償ではないだろうか。

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