「教科書採択をめぐる贈収賄事件はしばしば摘発されてきた。中でも忘れてならないのは、明治の教科書疑獄事件だ。
「全国で約二百人が摘発され、百人以上が処罰された。これをきっかけに、教科書の検定制は国定制に切り替えられていった。」
昨日、とある英語教育関係の会合のあと、先輩と奇しくもこの話題になっていました。
共通の恩師による英語教育学概論の授業では、(なんともマニアックな話題として)教科書疑獄事件を発端として明治期の教科書がどのように国定化されていったかを扱っていましたのですが、このニュースを聞いたとき、私もその先輩もこのことをまっさきに思い出し、三省堂による違法営業行為の摘発が、ある意図を持った狙い撃ちだとしたら?なんて話をしていました。
もう一つの憶測としては、もともと三省堂の英語教科書は、若林先生や中村敬先生の時代から、政治的メッセージをかなり強く持っていたので、それが狙い撃ちされたのでは?なんてことも。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015110402000132.html