プロローグ

2002年のある日、同僚の先生から学内の研究所の所長から、外国語教室の教員も何か研究計画出せって言われてるという話を聞いて、それじゃ東南アジアの英語教育事情でも調べに行きますかと、気軽に答えたのがことの発端。いつもの三人組で、東南アジアの国をそれぞれ担当し、視察旅行に行くというアイデアについて話し合った。

それ以来そのことはすっかり忘れていたが、2002年度が終わろうとする頃、研究所の所長から催促され、あたふたと研究計画をまとめることに。所長のお墨付きもあってか、無事研究費は交付され、2003年度中に視察旅行に行くことが決定した。

しかし、2003年4月には中国でSARS感染患者が確認され、続いて中国や香港で鳥インフルエンザ感染患者が死亡するというニュースが飛び込んできた。わたしが担当するベトナムでも、鳥が大量死、鳥インフルエンザによる感染患者の死亡も。隣国タイにも飛び火した。

一同、様子を見て翌年度まで延期する腹づもりでいたところ、11月になって再び所長から旅行計画出せと督促。やはり行くんですかぁ〜、と弱気に対応。SARSや鳥インフルエンザに加えて、911の報復テロによる警戒警報が発令された。SARS感染患者発見のための熱センサーによるモニターや、軍服姿の兵士による警備で海外の空港は物々しい警備体制というニュース報道。

それでもほんとに行くのかと文句を言いつつも、何とか2004年2月半ばになって旅行計画がやっと決まった。出発の半月前。

この時点では、私の担当国であるベトナムでの滞在は4日間で、ハノイのみ訪問する予定だった。しかし、2月14日になって、かつてシンガポールのRELCで出会ったベトナム人Minh-Tamからメールの返事が届き、彼女の出身地であるフエも訪問する計画が急浮上した。行くならいろいろ準備もせねばと、間際になってあわただしく各方面と連絡開始。

このころ、同僚が行く予定のインドネシアではデング熱で死者170名近くに。ベトナムでも鳥インフルエンザで既に15人が感染死、2月25日にはNHKの朝のニュースでPho ga(もっとも人気のある鳥風味の米うどん)が市場から姿を消したという報道が。

そうこうしているうちに、何を血迷ったか、どうせ行くなら主要三都市へ行ってやろうという野心が。もうこの時点では日程変更は難しいというのに、強引にベトナム滞在を一日延長して、魔の三都市縦断計画敢行。

このころからホーチミンとフエの宿探し。ベトナムでの鳥インフルエンザ感染死者は16人に。今まで一度も入ったことがないのに、出発前日の8日、珍しく旅行者保険に加入。

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