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ハノイ空港到着

(March 10, 2004)

香港から1時間ちょっとでハノイ空港に到着。途中機内からはいかにも東南アジアンな色合いの土やくねくねした川の様子が見えた。
空港はとても清潔で近代的だが、どことなく寂しげ。さすがかつてはソ連の影響下にあったバリバリの共産国だっただけあって、至る所で軍服軍帽をかぶった軍人が目につく。入国審査のカウンターも、皆いかめしい顔して軍服を着た係官だった。後に訪問したシンガポールのチャンギ空港の入国審査カウンターには、きれいなクリスタルの入れ物にキャンディーが山ほど入っていてにこやかに対応してくれたのとは対照的。
入国審査後、カルーセルからスーツケースを持ってきて税関らしきところでまたX線検査。パソコンと大吟醸酒の便が日本も入っているバックパックを何度も通してじっくり検査していた。英語で「ワインが入っているのか?」って聞かれただけで難なくパス。空港のメインビルは何やがらんとしていて活気がない感じ。後にホーチミン市を訪問するとその差がよくわかるのだが、やはりこれがソ連的な「北」の雰囲気なのかもしれない。
ホテルにはあらかじめ迎えの車を頼んでいたはずだったが、それらしい出迎えがない。まあ、タクシーで行けば済むことだが、携帯電話の通話テストを兼ねてホテルに苦情の電話を入れておく。庶民が話す英語には相当なアクセントがあって、ときにはよくわからないこともあるが、さすがに5つ星の西欧資本のホテルではそれなりのレベルの英語をしゃべるし、こちらが遠慮なくしゃべってもちゃんとわかってくれる。苦情の文句を矢継ぎ早にまくし立ててストレス発散し、電話を切る。せっかく高い電話代無駄にするなら、ストレスくらい発散しないと損。
今回の出張旅行では、他の国々で別に視察をしている同僚との連絡の便も考えて、Vodafoneのグローバルローミング対応の携帯電話を購入しておいた。これはモトローラのちゃっちい機能の端末にUSIMカードを指して使うもので、日本国内では使えないが、日本と韓国を除く93か国でそのままの番号で使えるというもの。ただし、発信も受信も国際電話扱いなので、通話料は割高。それでも、香港、ベトナム、シンガポールのどこに行ってもそのまま携帯が使えて、それなりに通話もして総額1万程度の請求だった。維持費も年間契約割引などを含めて毎月540円程度なので、ほぼ毎年海外へ行くことを考えると番号も変わらないし、いいお買い物といえる。

Posted by Yoshi at 12:43 AM | コメント (0)

爆走空港タクシー

(March 10, 2004)

さて、空港ビルを出たところに待ちかまえているタクシーの中から、感じの良さそうな青年が運転手をしているこぎれいな車を選んで乗り込む。ほとんどまっすぐな国道をハノイ市街に向かってまっしぐら。道路は一応舗装されているが、両側は田んぼや畑なので土埃がものすごい。比較的最近造られた道路なので片側二車線になっているが、外側の一車線はほとんどバイクと自転車専用状態。一見好青年の運転主君は、ハンドルを握ると別人になるタイプらしく、追い越し車線で車間をぎりぎりまで詰めて前の車を威嚇し、クラクションをならしっぱなし、パッシングをしまくって爆走していた。滑稽なのはそれでもほとんど周りの車と早さは大差ないこと。驚くべきことに、そのような極限の運転をしながら、彼は胸ポケットから携帯を出してメールを打っていた。恐るべし。ともあれ、こういう滑稽な急ぎやさんはどの国にもいるのだと感心。
いや、実は感心なんて悠長なこといっていられる状態ではなかったのが本当のところ。あまりの運転ぶりに足は突っ張りっぱなし。おまけに、市街にはいると周囲を取り囲むバイクや自転車を蹴散らすように走っていたため、こっちもいつ事故が起きるかと冷や冷やしっぱなし。しかも、バイクに乗っている人のほとんどはヘルメットなどかぶっていない。接触して転倒すればそれなりの怪我をするのではないかと冷や冷やしていた。そんな状態なので、ホテルに着いた頃にはぐったりしてしまった。後にわかったのだが、これは私がベトナム流交通マナーに慣れていなかったせいも大きい。
まず、クラクションに対する感覚が日本とまったく異なる。日本では威嚇や罵倒のために鳴らすことが多いが、ベトナムでは車もバイクも自分の存在を周囲に示すために鳴らしている。だから、鳴らされてもにらみ返すこともない。それと、蹴散らされているように見えたバイクや自転車は、実は川の流れのような調和を持っていて、その流れに車も乗っているというのが後でわかってきた。

Posted by Yoshi at 12:44 AM | コメント (0)

チェックイン

(March 10, 2004)

ホコリまみれの国道カーチェースを終えてホテルに入ると、ひんやり心地よい空調の効いた空気で別世界、戦乱の跡消えぬ途上国からいきなりどこでもドアを通って西欧のホテルに戻ってきたような、妙な感じだった。
フロントでチェックインして部屋へ。最上階の14階の部屋で、窓からはハノイ市中心部やホテルの正面の大きな交差点が一望できる眺めのいい部屋だった。ホテル正面にはどういうわけか大きなレンガ造りの煙突がある。後で知ったのだが、ホテルが建つ前にはレンガ工場があった場所で、そのレンガ工場の煙突をそのまま残してあるのだとか。なるほど、ホテルすぐそばの通りには、溶接や金型加工などの町工場が並んでいる。

ホテル正面の大きな交差点の流れを見ていると飽きない。一応は信号による大まかな交通の整理はされているが、あっちからもこっちからもバイクの波が押し寄せて、それらがサーカスのオートバイによる曲芸のように、ぶつかることなくすり抜けていく。時折ノンという笠をかぶって天秤棒を担いだおばさんが、いとも簡単に通りを横切っていく。四輪車は圧倒的少数派で、ほとんどはバイクである。観光客を乗せたタクシーや荷物を載せたトラックがたまに通るが、上から見ているとバイクの波に飲み込まれているようだ。
しばらくはそんな交差点の様子を眺めたりビデオに収めたりしていたが、とっくに昼も過ぎていて腹も減ったので、街へ繰り出すことにした。

Posted by Yoshi at 12:45 AM | コメント (0)

通りを渡れない!

(March 10, 2004)

空調の効いたホテルの部屋から下を眺めているのとは違って、いざ通りに出てみるとひっきりなしに鳴り響くクラクションの音やバイクのうなり、砂埃や排気ガスの臭いなどが加わって、臨場感がまったく違う。
二人乗り、三人乗り、民族衣装のアオザイをはためかせさっそうとバイクを駆る若い女性、後ろに乗った人がタンスを担いで運んでいるバイク、お父さんの前に小さな子ども、後ろのお母さんとの間にもう一人の子ども、さらに母親の腕には乳飲み子という5人乗りなど、実にさまざまな乗り方のバイクがひっきりなしに通っていく。
そんな交通を横目で眺めつつ、数ブロック歩いていった。本当はメシ屋がありそうな反対側に渡りたかったのだが、恥ずかしい話どうやって渡ったらいいか困っていた。東京のど真ん中に育った私ですら困ってしまうくらい、往来のとぎれがない。仕方なくさらに数ブロック歩いていった。通りを渡ることができないので、仕方なく反時計回りにぐるっと歩いていった。
文廟近くの信号のある大きな交差点に出たところで、しばらく角に立ってしばらく交通を眺めていた。上の方から見るのとはまた違った発見があって楽しい。ノンをかぶったおばさんが通りを無造作に渡るのを見ていて、通りのわたり方のコツがわかった。おばさんは交通の流れも見ず、バイクが行き交う通りをゆったりと歩いて渡っていった。歩行者がバイクをよけようとするのではなく、歩行者はバイクがよけやすいようにゆっくりと一定の速度で歩いていればいいのだ。無理によけようとしたり怖がったりして不用意に立ち止まると、こちらの動きを読みつつ向かってくるバイクがとまどってしまう。日本の場合、運転者たちは我先に争って走っているので、どうしても隙を見て割り込んだり、サッと渡ってしまおうとしたりすることになるが、ベトナムでは違う。すべての運転者は目の前だけではなく周囲全体の流れを読みつつ運転している。自分が減速した方が全体の流れがスムーズになるのならそうする。かといっておっとりしているばかりかというとそうでもない。左折(ベトナムでは日本と反対側を走るので、日本でいえば右折に相当する)しようとするバイクは、信号が変わる直前に手前の方でさっさと反対車線に渡ってしまい、反対車線の端をゆっくりと逆送して左に進む斜線に合流する。
おばさんを見習って、ややバイクの量が少なくなったところで勇気を出してゆっくりと歩み出し、一定の速度で反対側目指して歩いていった。行き交うバイクの数とは裏腹に、驚くほど安全に流れに乗って渡ることができた。慣れてくればこちらに向かってくるバイクを見る必要もないほど、周りのバイクが勝手によけていってくれる。試しはしなかったが、これなら目をつぶってでも渡ることができそうだ。日本でこんなことをすれば必ずはねられるだろう。

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Posted by Yoshi at 01:13 AM

"honda ong"

(March 10, 2004)

hondaというのはバイクタクシーのことだ。ベトナムではホンダが絶大な人気を誇るので、バイクの代名詞のように使われたのだろう。ongというのは「オヤジ、おっさん」を意味するベトナム語で、honda ongというのはバイクタクシーの運転手のことを指す。通りの脇に止まって客待ちをしている。客はバイクの後ろに乗り、指定のところまで乗せていってもらう。ガイドブックなどでは、観光客と見ると法外な値段をふっかけてきたり、あらぬところまで連れて行かれたりする危ないhondaも多いと書いてあった。
通りを渡った向こう側で、若者がにこやかに英語で話しかけてきた。一応同じアジア系の顔立ちでもすぐに外国人だとわかってしまうらしい。このThanhという名の青年はそこそこ英語ができるようなので、どこかメシを食うところはないかと尋ねると、いい店まで連れて行ったやるといって、知り合いのhonda ongを勧めてきた。あまり怪しそうではなかったが、旅の冒頭からぼったくられても困るので断った。

Posted by Yoshi at 01:14 AM

地元民のメシ屋のかわいい通訳

(March 10, 2004)


Thanh青年とひとしきり話し込んでから別れを告げて歩き始めたところ、すぐにメシ屋とおぼしき店があった。店の親族らしき女性たちが楽しそうに話をしながらテーブルを囲んでいる。思い切って入ってみたが、もちろん英語はまるで通じない。相当さび付いたベトナム語で「メシを食いたい」までは通じたものの、cha gioと注文してもまるで通じない。仕方なくショーケースの中の作り置きしてある料理を指差し注文する。すると、テーブルに座るようしぐさで勧められ、注文した料理を年季の入ったフライパンで温めて、ボール一杯のライスとnouc mamが入った小皿とともに持ってきてくれた。

もしかすると外国人は今まで一度も入ってきたことがないのではないかと思うほど好奇に満ちた視線を浴びつつ食事をはじめた。気がつくとだんだんと観客の数が増えてきた。どうやら珍しさのあまり親戚まで呼びにいったようだ。皆こちらを恥ずかしそうにちらちらと眺めつつ、Nhat Banというささやきが聞こえてくる。たぶん日本人だろうといっているのだ。
そのうち隣のテーブルに店の子どもとおぼしき女の子が座ってきてこちらを向いてニコッと微笑んできた。英語で話しかけてみるとそこそこ通じている様子なので、私が注文した料理の名前をベトナム語でメモ帳に書いてもらった。彼女を通じて、もうちょっと食べたいので何か他のお薦め料理を持ってきて欲しいと頼むと、すぐに暖めて持ってきてくれた。中学生くらいなので、きっと学校で英語を勉強しているのだろう。彼女によれば、私が食べたのはNem, Ca Heng, Cha, Comだそうだ。
後で外語時代の友人とメールしていて叱られたのだが、一生懸命cha gioと注文しても理解してもらえなかったのは発音や声調が悪かったのではなく、cha gioというのは南部の呼び方で、北部では同じものをnem ranというんだそうだ(って、いわれれば確かそんなこと習ったなぁ、と思い出したが…)。恥さらしなのか、面目躍如なのかよくわからない。

Posted by Yoshi at 01:19 AM

床がゴミ捨て場

(March 10, 2004)

食べながら床を見てびっくりした。床には辺り一面、無造作に捨てられた丸めたナプキン、食べかす、その他諸々のゴミが散らばっている。他の客を見ていても、魚の骨などは床に向かって吐き出しているし、ナプキンもポイと床に捨てている。きっと一日の終わりにまとめて掃除するのだろうが、慣れないとやはり嫌な感じがする。だが、これが地元ルールなら仕方ない。
食べ終わる頃に一つ大失敗に気づいた。小さめのボールに入って出てきたライスは、そこから茶碗に取り分けて食べるようになっていたのだ。あまり大きくないボールだったので、私はそのままボールからライスを食い、平らげてしまった。あるいは好奇の目はこのボールの山盛りライスを平らげる様子に向けられていたのかもしれない。

Posted by Yoshi at 01:20 AM

ホーチミン博物館

(March 10, 2004)

かわいい通訳にお願いして支払いを済ませて店を出た。文廟に添って通りの反対側を歩いていくと、時計屋がいくつか並んでいた。ベトナムでは通り沿いに同じ商売の店が並んでいることが多い。どの店もショーケースに種々雑多な時計が並べられ、店の主人は軒先で椅子に座って通りを眺めている。どうやって生計を立てているのか不思議だ。
文廟を過ぎてさらに進んでいくと、やっとホーチミン廟のあたりに出た。大理石でできている立派な廟にはホーチミンの遺体が安置されている。しかしホーチミン廟は午前中の短時間しか開館していないので、この日はホーチミン博物館を見学した。ここにはホーチミンに関する資料や展示がわかりやすくまとめてある。地元の学校の遠足先としても人気があるようで、いくつかのクラスが先生か指導員とおぼしきガイドに案内されて熱心に見学していた。
博物館を出ると、何やらものすごい剣幕で怒鳴り立てている女性の声が聞こえた。見ると、70歳くらいのおばあさんが旦那とおぼしき同じくらいの年齢の男性をまくし立てている。男性はけんもほろろで、にやにやしながらいわれるがまま抵抗の様子はない。昔読んだ本で、ベトナムの女性はとてもたくましいということを読んだのを思い出した。
道端の売店でホーチミンの絵はがきを買った。ホーチミン関連の商品に混じって、どういうわけかパワーレンジャーや仮面ライダーアギトの人形が売られていた。どこも観光地の売店は商魂たくましい。

Posted by Yoshi at 01:20 AM

市場の抜け道

(March 10, 2004)

ハノイに来たからには、ホーチミンの遺体が安置されているホーチミン廟にいってホーおじさんに挨拶しないわけにはいかない。しかし翌日は教育訓練省の人とインタビューがあるので時間が限られている。インタビューを終えてからホーチミン廟に駆けつけ、見学してホテルにとって返して何とか飛行機に間に合うくらい時間的に厳しいスケジュールだ。道に迷っては致命的だから、ホテルからの近道を探さねばならない。博物館を出てから地図を確認し、ホテルの方角に向かって近道を探しつつ歩き出した。ホーチミン廟のある公園とホテルの間には地元の人しか来ない市場があり、道の両側にさまざまな店が出ていた。やはりここでも外国人は珍しいらしく、歩いていると好奇の視線を浴びた。
そんな市場の道端でおばさんたちがカード遊びのようなものに興じていた。紙幣も飛び交っていたのできっと金をかけてギャンブルしていたのだろう。人なつこそうなおばさんで、私に向かってしきりにはいるかと誘ってきたがぼったくられてはかなわない。にこやかに辞退した。絵と漢字が書いてあるカードで、日本では見ないタイプのゲームのようだった。おばさんたちのギャンブル場の横では、大きなたらいに雷魚を入れて売っている店があった。雷魚の料理はうまいらしいが、今回の旅ではありつくことができなかった。
市場の道を抜けると小さな町工場が並ぶ通りに出た。ホテルの部屋から見えていた工場横町に続く道だった。無事ホテルに戻り、また空調の効いた部屋でしばし休憩を取った。

Posted by Yoshi at 01:21 AM

British Council

(March 10, 2004)

旅行に先立ち、ある人の紹介で連絡をしたブリティッシュカウンシルの英語教育担当の人に、教育訓練省の担当者を紹介してくれたお礼の電話を入れた。なんと、偶然にもブリティッシュカウンシルは宿泊しているホテルの真裏で背中合わせになっていた。ブリカンを訪問することは考えていなかったので、ホテルはもっぱらホーチミン廟までの便を考えて選んだので知らなかった。早速土産に持ってきた大吟醸酒のビンを抱えてStott氏をブリカンに訪ねた。イギリス人だけあってヘビースモーカーのStott氏は背が高く、それほど気むずかしさは感じられなかった。英語教育に関係する前はブリカンのまったく異なる部署にいたそうだ。残念なことに、ポーランドに赴任が決まっていて、近々ベトナムを離れてしまうという。Stott氏からは、ベトナムの役人からは決して聞くことができないような「裏」事情もいくつか聞くことができたのだが、オフレコという約束をしたのでここでは詳細を書くことは控えておく。

Posted by Yoshi at 01:22 AM

夜のハノイ

(March 10, 2004)

ホテルから歩いていけるところでどこかメシでも食おうと外に出て、昼間歩いた方面とは反対にGiang Vo(ジアン ヴォー)通り沿いに歩いていった。週末でもないのに、道路には結構バイクの往来があるし、通り沿いの店にもそれなりに客が入っている。
しばらく歩いていくと、屋台の前でまだ首も据わってなさそうな赤ん坊を抱っこした奥さんを乗せた若夫婦のバイクが止まっていて、何やら買っていた。にこやかに近づいてみると、ふかしイモの屋台だった。うまそうなので一つ買ってみた。ビニール袋に無造作にイモを放り込み、上からきな粉と砂糖をまぶしたものをサッとかけてくれた。サツマイモほど甘くなく、ジャガイモともまたひと味違うイモの味だった。1000ドン也。
袋からイモをつまんで食いながら通りを歩いていくと、歩道に敷物を敷いて本を並べて売っている古本屋がいくつも出ていた。本は歩道ではなく車道に向けて並べられていて、通りがかりのバイクが止まって物色していく。歩いてきた私も仕方なく車道におり、本を眺めた。大学生とおぼしき女の子がバイクにまたがったままじっとOxfordの越英辞典を見つめていた。露天の兄ちゃんにいくらか英語で尋ねたが、よくわからないらしい。バイクの女の子が通訳してくれた。3ドルなら日本で買うことを考えたら破格だが、ベトナムでの相場ではぼったくり価格かも知れない。女の子に妥当な値段かどうか尋ねたらいい買い物だという。3ドルで手を打って購入した。それでも、ベトナム人にとっては3ドルでも相当高価な買い物だから、女の子も相当欲しそうにしていたが躊躇していたのだろう。

Posted by Yoshi at 01:23 AM

夕食

(March 10, 2004)

適当なところで通りを引き返し、分厚い越英辞典をぶら下げて歩いた。そろそろ腹も減ってきたので、入りやすそうな料理屋を選んで入った。定番のcha gio(揚げ春巻き)と、ナマズの唐揚げバターレモン風味、サツマイモのつると葉っぱのニンニク炒め、Saigonビールを注文した。サツマイモのつるが意外に柔らかくて美味。
どこの店でもそうだが、見たところせいぜい中学生くらいの年端の子どもがウェイトレスとして働いていることが多い。おそらく店の家族か親戚の子どもだろうが、子どもだからと行って甘い扱いではなく、店主は容赦なくどやしつけて使っている。中には涙を浮かべながらも泣くのをこらえてがんばって働いているけなげな子もいる。家の手伝いをして偉いといえば偉いのだろうが、客としてはあまり気持ちのいいものではない。
店の人間はたいてい分厚い札束をくるっと丸めて輪ゴムで止めて持ち歩き、目を光らせている。会計はテーブルでするのがベトナム流で、まずはウェイトレスを呼んで計算してもらう。金を支払うときには札束を持った店の人間やってきて会計をする。チップの習慣はない。
その店は子どものアルバイトの扱いはそれほどひどくなく、落ち着いて食事ができた。やはり一目見て外国人だとわかるらしく、皆こちらを好奇の目でのぞき見ながら仕事をしている。そのうち、店員の一人と店主らしき女性が話しかけてきた。店主の旦那は西洋料理の料理人だそうで、市内のホテルで働いているのだそうだ。

店を出てホテルに帰る途中、店舗を改装しているとおぼしき工事現場を通りかかったところ、すごい自転車を発見。両側に荷台をつけて、そこに置いたズタ袋に砂を詰めているおじさん。袋は4つあったので、全部一杯にすると相当な重量。実際に走り出すまで見届けられなかったのが残念だったが、なんでも自転車で運ぶのに驚嘆。そういえば、昼間タンスをしょって走っている自転車がいたっけ。

Posted by Yoshi at 01:23 AM

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