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農村の小さな高校を訪問

(March 11, 2004)

30分ほど走り続け、高校に到着した。SMAPの稲垣吾郎似のNguyen Tam校長先生やNguyen Huu Tue教頭先生はじめ(そう、ベトナムではほとんどの人がNguyenさんかLeさん)、教務主任の先生までもがずらりと出迎えてくれた。校長室に通され、蓮のお茶をご馳走になりながら話をした。多くの学校では、校舎の収容人数や教員数の関係で、生徒たちは午前と午後の二手に分かれて授業を受けるのだそうだ。見学することになったのは、午後の部最後のコマ、11年生(日本の高校二年生に相当)の英語の授業だった。だめもとで、おそるおそるビデオ撮影してもいいかどうか尋ねると、何も問題ないかのように二つ返事で許可してくれた。拍子抜けしつつも、すぐにビデオカメラの準備をし、教室に向かった。
廊下では生徒たちが好奇の目で私を見ていた。教室の近くまで行くと、授業担当の若い女の先生と出くわしたが、教頭先生がその場で私が日本から授業を見学しに来たと伝えているらしかった。その先生はとても驚いた声を上げていたが、拒む様子もなくにこやかに受け入れてくれた。
授業開始に先立って、Tienがベトナム語で私を紹介してくれ、一同が拍手で迎えてくれた。あとでホーチミン市の短大の教室へ闖入したときも同じことを感じたが、こうやってお客さんを一斉に拍手で迎えてくれるときの統率の取れた行動というのは、共産党の指導のたまものなのか、それともホーチミンに導かれて長年民族解放戦争を共に闘ってきたことから生まれた連帯感なのか。無論悪い気持ちがするわけではないが、どことなく人工的なものを感じてしまうのは、自分の根が素直でないからかもしれない。
Tienと並んで教室の最後尾の席に座り、ビデオを回しながら授業を見学した。クラスサイズは日本とほぼ同じ、40人程度の教室だった。机の間隔が狭く、びっしりと配置されていたから、教室は日本よりもやや狭いようだった。もちろん冷房などなく、熱気がこもっていた。
授業が始まってすぐに驚いた。教師が何か問いかけをすると、教室のあちこちでサッと手が挙がる。クラス全体に答えを求めればみなが一斉に答える。寝ているものなど一人もいない。疲れたようにうつむいている生徒もいない。みな教師の方を見ている。日本でも小学校低学年なら珍しい光景ではないが、高校二年でこれほど反応がよい授業は見たことがない。もちろん、授業開始数分前に突然見学が決まったのだから、研究授業などにありがちな「やらせ」でもない。
授業を見学しながら私の脳裏をよぎっていたのは日本の生徒や学生のことだった。学校に来ることに対する感謝の気持ちのかけらもなく、ものを知ることに対する喜びはおろか、教室では疲れ切って反応すらしない。
授業が終わると、子ども達は下校してしまった。多くの学校では、教員や教室不足のため、午前と午後の入れ替え制なのだそうだ。私が見学した生徒達は午後組だった。校長室に戻り、先生方に授業の感想を求められた。迷わず子ども達の反応の良さを賞賛したが、教頭先生は逆に、反応しなかったら授業にならないではないかと言ってきた。その通り。日本の授業は多くの場合授業になっていない。
子ども達の反応の良さにはいろいろな背景があるのだろう。小学校段階、あるいはそれ以前の子育ての段階から分析すれば、興味深い違いが明らかになるかもしれない。経済的な要因も大きく影響しているに違いない。あの子ども達にとって、勉強ができるかできないかは、彼らの近い将来の生活に直結している。日本にもそんな時代があったのだろう。団塊の世代が学校にいた頃、いわゆる「受験戦争」という時代がそうなのかもしれない。その後「ゆとり」が叫ばれ、「個性」が尊重され、受験戦争から子ども達を解放しようとした一連の「改革」を経て、日本の子ども達は飽食ならぬ「飽学」状態になった。ベトナムの熱気のこもった教室でそんなことを考えながら、近い将来、アジアにおける日本の地位は急激に低下するだろうという底知れぬ恐怖を感じていた。


Posted by Yoshi at 05:49 PM

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