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ホーおじさんとご対面
(March 11, 2004)
並び始めてしばらくすると、小さな小屋にいかにも古めかしいX線検査機のようなものがあり、そこで手荷物のチェックを受ける。手荷物がある場合は小さな透明の手提げ袋を渡される。いった異動すればいいのか困っていると、後ろからチョイ青年が教えてくれた。またしばらく行くと、手荷物預かり所があるので、そこでこの手提げに荷物をまとめて預けるんだそうだ。カメラはおろか、携帯電話も持ち込み禁止になっている。これほど神経質になるのは何故かわからないが、まあ、国民的尊敬を集める偉人の亡骸が安置されている写真が出回るのは困ると言うことだろう。
さらにしばらく行くと、だんだん大理石の巨大な建物がそびえ立っているのが見えてくる。時折、白人の観光客グループが、兵士に伴われて列に割り込んでくる。たぶん、だだこねて入れてもらったんだろう。私ももっと駄々をこねて先の方に入れてもらえば楽チンだったかも知れないが、現地ベトナム人の列に闖入したのはそれはそれでなかなか味わい深い経験だったし、チョイ青年とも会えなかったかも知れない。タイミングというのは不思議なものだ。
廟のすぐそばまで来ると、手荷物預かり所があった。そこでカメラを預けねばならないので、最後のチャンスにチョイ青年たちと記念撮影をした。早速兵隊が近寄ってきてにらまれたので、さっさと切り上げて預かり所のカウンターへ向かっていった。
カウンターには四方八方からベトナム人がにじり寄ってきて、てんでに自分の手荷物を差し出し、預かり札を受け取っていく。なるほど、これが本来のベトナム式か、と感心していると、とまどっている白人の女性が目に入った。十数人が放射状になっているところで立ちつくす二人。しかし、郷に入りては郷に従えと、放射状の人だかりに突入し、ぐいぐい前に出て、さっさと手荷物を預けてきた。さすがの日本でも、ここまでやれば喧嘩の一つも起こりそうなものだが、ここでは誰も気を悪くしたり、いらいらしている様子はない。並ぶことに慣れている人間にとっては精神衛生上よろしくないが、ここではこういうやり方なのだから仕方ない。私が預け終わったとき振り返ったら、可哀想にまだ白人の女の子はもぞもぞしていた。
十数メートル先の角を曲がると、廟と外務省?の建物の間の広場に出た。そこからは急に空気がぴりぴりしてきた。10メートルおきに兵士が立っており、赤い絨毯が敷かれた入り口階段の両脇には、機械仕掛けのような衛兵が交代で入り口の番をしている。その手前では厳しい目の兵隊がうろうろして入場者の最終チェックをしている。周りのベトナム人たちも、チョイ青年たちを含めて緊張している様子が感じられた。チョイの友人の一人は、ポケットに手を入れているのを見とがめられ、中身をあらためられていた。ライターをもぞもぞいじっていたのがまずかったようだ。
階段を上って廟に入ると、中は冷房が効いていた。ベトナムでは高級ホテルは別として、これほど冷房が完備しているのは珍しい。遺体の保護のためか、それともホーチミンに対する敬意かはわからない。中のドアを開けて廟の中心部に入る。ここからは数メートルごとに兵士が立っている。緩やかな階段を突き当たりまで上って折り返すと、そこから照明がぐっと暗くなり、こちらを頭にして安置されているホー主席の遺体を囲むように回廊になっている。遺体と回廊の間は城の堀のように低くなっていて、中央台上のガラスケースに遺体が安置されている。堀の中の四隅には、やはり微動だにしない兵士が立っていた。
ケースの中のホーおじさんは黄色みを帯びた光で綺麗にライトアップされ、まるで今にも起きあがりそうなくらい生気を帯びていた。目を閉じて静かに横たわっている姿は、どことなく寂しげでもあった。生前のホーおじさんは人民ととても親しく活動を共にし、権威主義的なものはあまり好まなかったらしく、銅像などを造られるのも好きではなかったようだ。それが、当時のソ連の影響とはいえ、このような形で自らの遺体が永久保存され、人民への威信の保持のために展示されることになろうとは。哀しげに映ったのは、そういうことが頭をよぎったからかも知れない。
列は決して立ち止まることなくゆっくりと進み続け、回廊を回って外へ出る。出口を出ると人々は緊張から解き放たれたように動きを取り戻し、明るい外に出て行った。入廟前に預けた手荷物は出口の小屋で受け取るようになっている。札を渡してデジカメと携帯を受け取った。ここでは順番に人が出てくるため、放射状の待ち列はなかった。そこからさらに進むと、ホー主席が住んでいた家が公開されているのだが、既にこの時点で10時45分。ハノイの空港を飛行機が出るのが12時30分。見学する時間がないどころか、フライトに間に合うかどうかも怪しい時間になっていた。チョイたちに別れを告げ、順路から外れて廟の前の広大な広場を走って戻った。それでも、訪れた記録が何も残らないのも悔しいので、学校で見学に来ていたとおぼしきベトナム人の女の子にシャッターをお願いして、廟の前で記念撮影した。何と、肝心の廟は外してくれて、「ベトナム社会主義人民共和国万歳」っていう看板がしっかり入っていた。とほほ。